2018.07.30

29日の土曜日、台風近くなか人生で初めてチーズダッカルビに挑戦。なかなか上手くできたけど、ダイソン(空気清浄機能付き)は環境悪化を叫んで最大風量を部屋に送風していた。

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そして晩ご飯の後のお供は、ついに買ってしまった「サークルクラッシャー麻紀」。

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トウガラシ香るリビング、響くはダイソンの送風音と私の馬鹿笑い。あまりにもうるさかったのか、妻から「何読んでるの?大丈夫?」と問われる。

ああ、これこれ、と何気なしにiPhoneを渡してしまう。渡してから渡すべきかどうか悩む。もし作中の露骨な描写にドン引きされた上に、こんなの読んで喜んでるなんてどうかしてると嫌がってしまったらどうしよう。ステキな小説を読むことができる喜び(少なくとも私はこの作品はむちゃくちゃ面白いと強く思っている)を、妻の私に対する評価の下り幅で買ってしまったようなものだ。

頭の中で今後の対応を2案考えた。

一つはこの作品は一つの文学作品であり、笑いという人間の一作用を促すことによって思考を深めることができる、というものだ。無論ジャストアイデアなのでこれ以上根掘り葉掘り聞かれると何も答えることができない。地方国立大卒という偏差値カースト外の人間に論理的思考は身体への負担が大きすぎる。翌日(下手したら来週いっぱい)確実に寝込む。

もう一つは、自らの変態性を認めたうえで、こんな男と結婚した方が悪いという責任転嫁案だ。これは婚姻関係のクーリングオフを要求されるリスクがある。それはなによりも避けなくてはいけない。

と思っていたら、クスクス笑う妻の声が。どうやら面白かったらしい。助かった。

今日も出勤時最寄駅までの道中妻と「サークルクラッシャー麻紀」について語った。実際のクラッシャーは無茶苦茶な美人が少ない、部長が何だかんだイケメンじゃないか、etc…

また読み直して、体調と引き換えに何が笑いのツボだったのかまとめて見たい。