帰路(その1)

たっぷりとした雲の下、電車から押し出された私はホームから土色の海を臨む。左から漂う磯の藍色、右から叩きつける腐葉土の黄土色、交差した濃度差は層を成し、破れ、形相を帯びる。
対流する私を取り巻く気相は、抱えきれないほどの湿気を携え、天井のトタン屋根に落ち着く。それらは私を冷やすことが苦手だ。私の肌は放熱できず、焦燥は憧れになる。
自販機が静かに指し示す先は、消失点の向こう側であり、並列したレールは、膨張し、競争し、互いを退けあいながら、一点となる。
捉えることのできない向こう側からやって来たんだ。私は自販機と一緒に向こうを見た。視界が捉える無限の反省は、世界の記述領域の境界であり、その向こうは何もない。そこから私はやってきたというのに。
電車のドアが閉まる。一斉に閉まる。彼は息を吐いて、ゆっくりと動き出した。私も自販機とは逆を向いてから、階段に向かって歩きだす。自販機の側は、吐瀉物を清掃した拡散する黒ずみで汚れている。私はそこを避けて、ベンチを通り過ぎて、階段を目指す。突き上げる肉の焼ける匂い、地面近傍で加速する砂つぶたち、百二十分遅れを知らせる構内アナウンスは意味を無くしてしまった。私は階段を目指す最中、胃の奥から込み上げる矩形の期待に辟易する。焼けた口の中は吐息も避ける。
込み合う階段は、左右に分割され、断絶したはずの進行方向が、大量の往来によって交錯する。黒の斑点が散逸する一歩が、身体の状態を高揚させる。私の前に人々がいる。たくさんいるのだ。彼らは歩いており、向かっている。不必要な早足は、うねりとなり、白波はその都度生成し、消滅する。そのうちの一人は、私の進行方向と逆のベクトルをなして同調している。衝突の寸前、私たちは止まり、軽く会釈をした。すれ違い、私も彼女もそれぞれの方向に向かって消えてゆく。無限回繰り返されないこの重なり合った有限の場において、これまで幾度となく繰り返してきたルートをたどり、昨日も今日も明日も同じようなことを繰り返すのであり、それこそ意味なき愛おしい日常であるというフェティシズム。視線を少し上げれば、顔を見ることができただろう。目を見れば、そこで交換された情報量から場を歪ませることができただろう。起点などいくつでも作ることができる。その力積に耐えることのできる認識を、私たちは持ち合わせていない。
コンコースはターンする雑踏で溢れている。透明のエレベータが一人落ち着いている。中腰になりながらトイレに向かうあの女性、あれは三か月前の私だ。視界は粒上の黒がちらつき、力が全身から抜けていく。冬の痛さが残る中、私は全身から噴き出した汗に閉じ込められていた。あの時の虚脱感が、その後の肉体の充実が指先を痺れさせる。
改札は不必要な勢いでそのゲートを開き、私は帰路と逆方向の海の方へ向かった。海の表面をめくり、かきむしる風は、改札出口まで吹き込んでくる。息苦しくなる。
真っ赤な空気を身に纏った人々は、淡い藍色の方へ次々と飛び込んでゆく。剥がれ落ちた赤は、揺れる水平線へ回帰していく。僕はその様を一つの客観として、景色として、どこにもあわせようのない焦点を面で捉えて、光沢のある手すりに寄りかかって見ていた。
その水平線の向こうの方から、近づいてくる像がある。輪郭が乏しいそれは、頭部を失った象のようだ。